愛智拾阿弥という戦国時代の人をご存じでしょうか。
織田信長に同朋衆として仕えた人です。
同朋衆とは、主人の側に仕えて芸能や雑務をこなす職。
小姓と同じ近習で、しばしば混同されますが、厳密には役割が違うともいわれています。
真面目な記事であれば、ここで同朋衆と小姓の違いや、愛智拾阿弥は結局どちらに属すかなどを、古文書や史料をもとに論じるのでしょう。
しかし、この記事は違います。
まあまあ酷いタイトルをつけましたが、おおむね間違いありません。
この記事は、山岡荘八先生の著作『織田信長』で描かれる愛智十阿弥(作中の表記はこちら)がいかに魅力的であるかを語りたい!
それだけの記事です。
多少のネタバレもございますので、ネタバレがお嫌な方はぜひ全5巻『織田信長』のうち2巻までをお読みになってからご覧ください。
とりあえずは2巻までで大丈夫です……
史実上の愛智拾阿弥
まず、史実上の愛智拾阿弥とはいかなる人かを申し上げたいのですが、多くのことはわかっていません。
拾阿弥の名前を見るきっかけとして多いのは、前田利家の「笄切り」かと思われます。
笄切りとは、前田利家により拾阿弥が斬殺された事件のことです。
ある日拾阿弥は、利家の笄を盗みます。
その笄は妻のまつからもらったもので、まつの父の形見でもありました。
利家は当然ぶちギレますが、拾阿弥と親交のあった佐々成政の取り成しで一時は収まります。
しかし、信長の寵臣であることを鼻にかけた拾阿弥は態度を改めず、その後も挑発的であったため、我慢しかねた前田利家によって斬殺されました。
また利家自身も、拾阿弥を斬った咎で出仕停止処分に処されています。
笄切りのほかでは、愛智義成の子孫を自称する土豪の愛智氏の出自かもしれない……ということくらいしか情報がありません。
推しの情報が少ないとは、かくも悲しいものなのですね。
ちなみに太田牛一殿著作の『信長公記』に「同朋衆の住阿弥が悪事をしでかしたため成敗」という記載がありますが、これは1578年(天正6年)のことなのでまったくの別人だと思われます。(笄切りが起きたのは、1560年の桶狭間の戦いより前です)
山岡荘八が描く愛智十阿弥
ここからが本題です。
山岡荘八先生著の『織田信長』において、十阿弥が活躍するのは2巻。
織田信長の寵愛をうける小姓として登場します。
やはりというか前田利家との絡みで、笄切りを元にしたストーリーなのですが、話の運びはオリジナリティにあふれています。
1ページで終わらせられそうなこの事件に、かなりのページ数が割かれていて、もう……スゴイ(語彙力の消失)
山岡先生、十阿弥のキャラ設定気に入って筆のってましたよね?のりまくってましたよね?
思わずそう尋ねてしまいたくなるストーリーの内容は、ここではお話しません。
ぜひ『織田信長』の2巻をお読みになってください。
この記事では、山岡荘八先生によって描かれた愛智十阿弥という登場人物、一個人の魅力――それを以下のポイントにわけてご紹介します。
極度にすぐれた容姿
『織田信長』において、愛智十阿弥は非常にすぐれた容姿の人物として描かれています。
どのくらいかというと、戦国一の美女と名高いお市の方や、美濃一の姫と謳われた濃姫と並ぶくらい。
いや……美しすぎるでしょう。
もはや戦国の日本三大美女といっても過言でないラインナップにイン。男性ですが。
そのほかにも「眼の覚めるようなあで小姓」「娘のようなあでやかさ」「清州一の美男子」と表現されています。
それほどまでに美しいなら、信長の寵愛をうけるのも納得です。
もちろん十阿弥の魅力は容姿だけではありませんし、その魅力をこの先で紹介していくのですが……
それにつけても羨ましいのは織田信長公。
お市の方は妹君で、濃姫は正室。さらに十阿弥は小姓というのだから、四方八方美人ぞろいではありませんか……羨ましい!!
度を超えちゃっている毒舌
十阿弥を語るうえで外せないのが、その毒舌っぷりです。
どれほどヒドイのか、いくつかのセリフを抜粋しましたので、ご覧ください。
- 「あの分では、下も青く、ふぐりも男根も、藍搔き棒のように青いことでございましょう」
- 「血のめぐりが悪いにも程がある」
- 「おぬしが怒ると、餌を取られた紀州犬そっくりの顔になる」
『織田信長(2)桶狭間の巻』
まず1つ目のセリフですが、こちらは稲生の戦い後、信長へ謝罪にきた佐々蔵人に対する言葉です。
髪から眉から見えるところの毛をすべて刈り取られた蔵人を「青坊主」と呼び、その青坊主っぷりがどれほどであるかを表現しました。
毒舌かつヒドイ下ネタです。
さらに蔵人とその主人・信行が衆道の関係にあったからでしょう「末森の殿(信行)はよほど青いのがお好きと見えまする」と続けています。
信行の兄である信長と、二人の母・香林院(土田御前)の前でです。
怖いものなしかよ。
2つ目のセリフは、前田利家に対して放たれた言葉です。
次項の「回転が速すぎる頭脳」にも関わってくることですが、信長が言外ににおわせた作戦に十阿弥は瞬時に気づき、まだ気づけずにいる利家に「(頭の)血のめぐりが悪すぎる」と言い放ちます。
しかし、けっして利家の頭が悪いのではなく、十阿弥の察しが良すぎるだけ。
利家は十阿弥に対し「いつも利巧ぶって」と言い返しているので、普段から「頭が悪い」というニュアンスの悪口を面とむかって言われていたのかもしれませんね。羨ましお気の毒に。
3つ目もまた、前田利家に対するセリフです。
十阿弥は、利家の幼名が「犬千代」だったために、よく犬呼ばわりしていました。
さらには利家の妻のまつをも「牝犬」と呼び、彼女の堪忍袋の緒をぶち切ったり……。
当時のまつは、現代でいえば小学校に通う年齢です。
十阿弥の年齢は定かではありませんが、仮に利家と同じ年ごろとすると、二十前後。
成人男性同士の掛け合いならまだしも、流れとはいえ女子児童を「牝犬」呼ばわりする男の絵面はヒドイものです。どうせなら私に言ってくれれば良いのにね
ほかにも色々とヒドイことを言っている十阿弥ではありますが、毒舌を吐く相手は選んでいたようです。
作中にも、生来の毒舌家ではあれど、気遣いの人には幾分遠慮するといった旨の記載があります。
山岡先生の『織田信長』のなかでは、前田利家は怒りに任せて刀を抜く人物ではない設定で、十阿弥もまたそれを知っているために甘えているようなものだそう。
度がすぎた毒舌も、甘えからくるものとわかればカワイイと思えるかもしれません。
私は思えました。
回転が速すぎる頭脳
十阿弥は非常に頭のいい人物として描かれています。
ほかの人が気づかないこと、あるいはゆっくり時間をかけて悟ることを、瞬時に察するのです。
作中でもたびたび「利巧」「頭が切れすぎる」「閃くような敏感さ」と表現されています。
具体的な例をあげたいのですが、それをしては愛智十阿弥のストーリーをあらかた説明することになりかねません。控えます。(『織田信長』のストーリーのなかでは、ごくごく一部なのですが……)
とにもかくにも、察しがよろしい十阿弥です。
察しの良さは、小姓としての仕事ぶりにも繋がることでしょう。
こういったところも、信長に重宝される所以なのかもしれませんね。
というか、シンプルに察しがよくて仕事バリバリこなす人はカッコイイですよね。
加えて清州一と称される美形なのだから、さぞかしおモテになることでしょう。
いっそズルいまであるキャラ設定
ビジュアルに関して、お顔立ちがよろしいことだけ書き連ねてきましたが、他にもまだまだ魅力があります。
史実の愛智拾阿弥は茶坊主であったようなので、剃髪していたものと思われます。
しかし『織田信長』の十阿弥は違います。
作中にもハッキリ「前髪立ち」と書かれています。坊主じゃない。前髪があるのです。
現代でも前髪の有無は大きく印象を左右しますよね。
もちろん十阿弥ほどの美男子であれば、剃髪していてもさぞ美しかったことでしょう。
少し前には美坊主写真集とかも流行ったくらいですし、それはそれで需要がありあまりそう。
ただ前髪立ちという設定があることにより、ビジュアルの幅が広がるのではないでしょうか。
それに前髪立ちの設定は、後述の服装にもシナジー効果をもたらすのです……。
と言ってしまったので、服装です。
なんと十阿弥は、振袖を着用しています。
これを知ったときの衝撃たるや……!
今では未婚女性の着物として知られる振袖ですが、昔は元服前の男性が着ることもあったようです。
しかし、作中の十阿弥がそこまで若いとは思えません。
前髪立ちの美青年が振袖を着ている……いわゆる「男の娘」とはまた違うのかもしれませんが、なんというかこう、艶やかすぎるイメージが沸いてくるのではないでしょうか。私は沸きました。
さらに十阿弥どの、横笛も嗜まれます。
想像してください。
月夜の下、振り袖姿の麗しい青年が、しっとりと横笛を吹き鳴らすさまを……。
それはきっと、世に名を馳せる名画にも勝るとも劣らない、幻想的な光景ではないでしょうか。
嗜むといえば、剣の覚えもあったようです。
作中で「平田三位の教えを受けた、腕に覚えの太刀筋」と自称しています。
この平田三位が『信長公記』に記される平田三位と同じなら、信長に兵法を教えた人です。
同朋衆は吏僚としての役割が強く、武芸はあまり求められませんが『織田信長』の十阿弥は小姓として描かれているので、信長の身辺警護を務めることもあったのかもしれません。
麗しくて、風流で、賢いうえに戦える。しかも毒舌家。
あまりにもキャラが立ちすぎている――それが山岡荘八先生の描く愛智十阿弥なのです。
まとめ
最後にご紹介した愛智十阿弥の魅力をまとめさせてください。
- 清州の城でも1・2を争う美貌をもった振袖姿の男子
- 頭脳明晰で察しが良い
- 横笛と剣術を嗜む
- 美しすぎる顔から数多の毒舌を吐く
『織田信長』では、上記のポイントが山岡先生の筆をもって巧みに表現されています。
史実としての情報が乏しいにもほどがあるのに、どうしてここまで魅力的なキャラクターになるのでしょう。
もし彼が登場するソシャゲがあったら、食費削ってでもゲットしていたところです。
今回は愛智十阿弥の記事なので省きましたが、主人公の織田信長はもちろん、絡みが多い前田利家も魅力たっぷりに描かれています。
そんな彼らの笄切り事件は、読む人に「もしかして……?」と思わせるストーリー運びとなっています。
はたして結末が「もしかする」のかは、ぜひ『織田信長(2)桶狭間の巻』で確かめてください。
私の語彙力では表現しきれなかった愛智十阿弥の魅力も詰まっておりますので!
愛智十阿弥は1巻にもちょこっと登場しています。
また2021年には全5巻合本版も発行されていますよ!
もしこの記事で、愛智十阿弥ファンや、山岡先生の『織田信長』をご覧になる方がいらしたら幸いです!
この記事で紹介した書籍と参考文献
- 山岡荘八『織田信長』1987年、講談社
- 太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』2013年、新人物文庫