名前 | 林秀貞 | ||||
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生年 | 1513年 | ||||
没年 | 1580年10月15日 | ||||
出身 | 尾張国 | ||||
所属 | 織田信秀 →(信友)→ 織田信長 | ||||
異名 | 新五郎、佐渡守(官位) | 武器 | – | ||
両親 | 父:林宏綱または通安? | 兄弟 | 通具(美作守) | ||
配偶者 | 子 | 新三郎、えい、一吉 ほか | |||
辞世の句 | – |
目次
足跡
- 幼少の織田信長の一番家老となり、元服の介添え役も務める
- 1552年 織田信秀病没、さらに翌年に平手政秀が死去すると、信長の弟・信行を擁立を画策する
- 1554年 村木砦の戦いでは、弟の美作守とともに出陣を拒否する
- 1555年 信長が清州城を占領後、那古野城を任される
- 1556年 稲生の戦いで信行側につき敗戦するも、許されて改めて信長家臣となる
- 1562年 信長と徳川家康の清州同盟の立会人を務める
- 1568年 信長の上洛に従軍。京畿で政務に携わる
- 1576年 信長の嫡子・織田信忠の家老となる
- 1579年 村井貞勝とともに安土城天守の見学を許される
- 1580年8月 安藤守就・丹羽氏勝らとともに織田家を追放される
- 1580年10月15日に死去したとされる
覚え書き
- 織田信秀に仕えた時代は、同盟相手の水野氏との取次を務めていた
- 政治面で重用され、上杉との交渉役や公家衆との取次も務める
- 有力家臣のみを招く安土の茶会に招かれている
- 妹のえいは森可成の妻
参考文献
- 『信長公記』(著:太田牛一、訳:中川太古)
- 『織田信長の家臣団――派閥と人間関係』(著:和田裕弘)