名前 | 水野信元 | ||||
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生年 | – | ||||
没年 | 1576年1月27日 | ||||
出身 | 尾張国 | ||||
所属 | 織田家臣 | ||||
異名 | 藤四郎、藤七郎 | 武器 | – | ||
両親 | 父:水野忠政、母:松平信貞娘 | 兄弟 | 近守、信近、於大の方 ほか | ||
配偶者 | 松平信定娘 | 子 | 土井利勝 ほか | ||
辞世の句 | – |
目次
足跡
- 1543年 父・水野忠政が死去。家督を継承する
- 1543年~1547年ごろ 戦・結婚・調略などを駆使し、知多半島を統一
- 1549年 今川氏の勢力が強まる。織田信秀と今川義元の和睦時、今川氏の下につく
- 1552年 織田信長の勢力が盛り返すと、織田家臣に戻る
- 1554年 駿河勢に攻められ、村木砦の戦いに。信長・信光が援軍として駆けつける
- 1555年 吉良氏が今川氏と敵対。信元は吉良氏側に援軍を送る
- 1560年 今川方の岡部元信に弟の刈谷城主・水野信近が討たれ、城も奪われるが、ただちに奪還
- 1562年 織田信長・徳川家康の清州同盟の仲介役となる
- 1567年 家督を養子・水野信政(水野信近の子)に譲る
- 1568年 信長の上洛戦に従軍
- 1570年 姉川の戦いにて佐和山城を攻め落とす
- 1572年 三方ヶ原の戦いに援軍として参戦
- 1574年 長島一向一揆討伐に参加
- 1575年 長篠の戦に参戦
- 1576年 武田家臣の秋山信友への内通を疑われ、養子・信政とともに殺害される
覚え書き
- 父・水野忠政は今川氏側についていたが、元信に家督が移ってからは織田信秀についていたと思われる
- 於大の方の異母兄で、徳川家康の外伯父
- 織田信秀の三河侵攻に協力していた
- 秋山信友との内通を信長に讒言したの佐久間信盛という説がある
- 内通は虚偽だった可能性があり、後年一族の元に領地が戻されている
参考文献
- 『信長公記』(著:太田牛一、訳:中川太古)
- 『織田信長の家臣団――派閥と人間関係』(著:和田裕弘)