【戦国プロフ帳】森可成

森可成プロフィール画像名前森可成
生年1523年
没年1570年10月19日
出身尾張国
所属土岐氏 → 織田信長
異名満、三左衛門、槍の三左武器十文字槍(関兼定銘)
両親父:森可行、母:青木秀三娘兄弟可政
配偶者えい可隆、長可、蘭丸、坊丸 ほか
辞世の句
森可成プロフィール(※画像はAIです)
目次

おもな戦歴

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西暦元号合戦名対戦相手
1556年弘治2年稲生の戦い織田信行
1558年永禄元年浮野の戦い織田信賢
1560年永禄3年桶狭間の戦い今川義元
1568年永禄11年勝龍寺城の戦い石成友通
1569年永禄12年大河内城の戦い北畠具教
1570年元亀元年姉川の戦い浅井・朝倉軍
1570年元亀元年宇佐山城の戦い浅井・朝倉軍

その他の足跡

  • 1565年 金山城の城主に任命される
  • 1570年 手筒山城の戦いで、長男・可隆を失う
  • 1570年 近江・京都間の交通の要衝である宇佐山城の城主に任命される

覚え書き

  • 母親は大橋氏(津島衆の有力者)の出という説もある
  • 妻のえいは、織田信長の筆頭家老・林秀貞の妹。愛妻家で、六男三女ともえいとの間の子。
  • 妹が祖父江秀治に嫁いでいる
  • 信長の寵愛を受けたとして有名な森蘭丸(成利)の父
  • 娘が坂井久蔵(坂井政尚の子)に嫁いでいる
  • 土岐氏滅亡後、長井道利に仕えたという説もあるが、可成は道利に嫌われていたともされる
  • 指が一本欠けていて、両手足の指が合計19本のため「十九」という蔑称で呼ばれることもあったとされる
  • 稲生の戦いでは「土田の大原」という武将を織田信房とともに討ち取っている
  • 稲生の戦いでは敵対していたが、その後は柴田勝家と親しかったと思われる(各種軍記による)
  • 宇佐山城の戦いでは、ガラ空きの京都を守るため、相手の1/10の戦力しかないにも関わらず、あえて討って出て侵攻を食い止めた。また家臣の奮戦もあり、落城は免れている
  • 可成の後継は、次男の長可が相続した
  • 可成の忠節に応えるように、信長は可成の子どもたちを重用している

登場作品

小説

  • 『織田信長』山岡荘八、講談社、1987年
  • 『下天は夢か』津本陽、日本経済新聞、1986年-1989年

漫画・アニメ

  • 『信長の忍び』重野なおき、ヤングアニマル、2008年-
  • 『信長のシェフ』西村ミツル原作、梶川卓郎作画、週刊漫画TIMES、2011年-2024年
  • 『信長協奏曲』石井あゆみ、小学館、2009年-
  • 『殿といっしょ』大羽快、メディアファクトリー、2007年-2017年

参考文献

  • 『現代語訳 信長公記』太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫、2013年
  • 『織田信長の家臣団――派閥と人間関係』和田裕弘、中央公論新社、2017年
  • 『信長の家臣団≪増補版≫――革新的集団の実像』樋口晴彦、(株)パンダ・パブリッシング、2019年
戦国プロフ帳(森可成)

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