合戦概要
萱津の戦い | |||||
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開戦時期 | 1552年9月4日(天文21年8月16日) | ||||
発端 | 坂井大膳ら織田大和守家の重臣が松葉城・深田城を襲撃。両城主を人質とした | ||||
決着 | 織田大和守家側が降伏 松葉城・深田城ともに明け渡される | ||||
交戦勢力 | |||||
織田弾正忠軍 | 織田大和守軍 | ||||
織田信長・織田信光・柴田勝家 ほか | 坂井大膳・坂井甚介 ほか |
合戦の流れ
織田大和守家の敵対行為
信秀亡き今こそ弾正忠家を抑え込む好機。松葉・深田の両城を攻めとるのです!
1552年9月3日――清州城の織田信友に仕える坂井大膳は、坂井甚介・河尻与一・織田三位らと共謀して、織田信長方の松葉城・深田城に攻め込みました。
両城を占領すると、人質を監禁し、信長への敵意を示します。
信長の出陣と信光の加勢
翌9月4日の明け方、松葉・深田の両城のおかれた状況を聞いた信長は、那古野城を出て庄内川まで出陣します。
そこへ、叔父で守山城主の織田信光が駆けつけました。
おお、駆けつけてくれたか、叔父上!
無論だ。清州方の横暴は捨ておけん。我らで手を携え討ち取ってやろうぞ!
弾正忠軍は松葉・三本木・清州へ向かう三部隊に分かれて庄内川を渡り、信長と信光は清州方面へと軍を進めます。
萱津村での戦い
9月4日午前8時ごろ、両軍は萱津の村で衝突します。
行け!一気呵成に攻めたてろ!
清州家老の坂井甚介が首、この柴田勝家と中条家忠とが貰いうけた!
数時間におよぶ戦闘のなかで、信光の家来の赤瀬清六や、清州方の坂井甚介ほか50人あまりが命を落としました。
坂井甚介を討ち取ったのは、中条家忠と柴田勝家だったといわれています。
甚介……!これ以上の被害は容認できません、退却です!
清州勢は崩れ、信長・信光方が萱津村での戦いに勝利しました。
松葉城・深田城の戦い
松葉城を占領していた清州勢は、数時間におよぶ矢の応酬で多数の負傷者を出してしまいます。
さらに、引き上げようとしたところへ追い打ちを受け、複数の将兵を失って松葉城に撤退しました。
深田城の清州勢も三本木の町まで出て布陣しましたが、この町にはなんの防備もありません。
弾正忠軍にあっという間に攻め寄せられ、伊東弥三郎ら武士30人あまりを失いました。
よし!松葉と深田の城を取り返すぞ!
信長が両城に攻め寄せると、清州勢は降伏して城を明け渡し、清州城へと撤退しました。
信長方の勝利
信長・信光の弾正忠軍は、三方面すべての戦いに勝利し、松葉・深田の両城を取り戻しました。
さらに敵方を清州城に封じこめると、清州方の農作物を刈り取ってしまいます。
こうして萱津の戦いは信長方の勝利で終わりました。
参考文献
- 『信長公記』(著:太田牛一、訳:中川太古)首巻[入京以前]、「深田・松葉両城取り合い」
- 『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(著:小和田泰経)